きれいな夜景をつくるおしごと~確認がとれないと帰れない~

B2Cの広告系web制作をやってから、B2BのMAとかやる仕事についた。

立ち退いて1年たってもビルはそのままだったのだった……

子供が「デスストランディングで、今ママーを運んでいる…ロックネのところに…」というので、ああママー死んでしまったか…と言ったら、死ぬ前だった。ネタバレになった。めっちゃくちゃ怒られた……ごめん……(時系列的にあやふやだった…)

nokuat.hatenablog.com

改めて調べた。自分はママー推しだけど参考になった。

 

そういえば、去年5月に引っ越し(ビル立ち退き)をしたのですが、その後、そこに新しい建物が建つ、どころか、取り壊されてもいません……

あの頃…我々は…「2020年にはオリンピック特需がある」という前提で生きていたのだな……という……

まあ、でも、大震災とか、感染症とか、なんか、「自分が生きているときにものすごいことが起こったな」というのは、それはそれ、継続的に日記をつけているからこそ感じられる何か、みたいなのがなくもない。幸い、私と子供はまあ元気に生きている…幸いに…その幸いがいつまで続くかはわからないけれども……

 

去年5月から、私は2つ資格試験を受けて(幸い合格した)、2回転職をし(ちょっとずつ年収が上がった)、完治まで半年以上かかる大怪我をし(生まれて初めてMRIを撮った。しばらく松葉杖や片手杖を使っていた)、子供は英検を4回受験して何とか取得し、いよいよ受験のシーズンを迎えつつあります。(私も11月12月に別の試験受ける)

間違いなく進んではいる、苦しみに満ちている時代でも、生きてる限り自分がやれることをやって生きるしかない。

私たち母子が楽しく生きていた都市は、だいぶん飲食店も減ったし、夜の賑わいもなくなりました。でももともと根無し草で15年以上だし、他に行く当てもなし、まだある飲食店で毎夜がつがつ飯を食って生きてます。去年から+5kgになりました。やべぇ。